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ロシアとラクロス①(サンクトペテルブルク編)

こんにちは飯沼賢一です。
これから数回にわたり、ロシアのラクロス事情をお伝えしたいと思います。初回は私が住むサンクトペテルブルク編です。

白夜とラクロス

夜のエルミタージュ

サンクトペテルブルクは、首都モスクワの西約650キロに位置する第二の都市で、芸術・文化の中心地です。
世界有数のコレクションを誇るエルミタージュ美術館や、バレーやオペラで知られるマリンスキー劇場があり「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」の小説家ドストエフスキーや、詩人プーシキンゆかりの地でもあります。ソ連時代はレニングラードと呼ばれており、今でも駅や州名に名残が見られます。
この街に住む人の多くは、歴史や美術、文化水準の高さに誇りを持っています。モスクワのような高層の建物が中心部にない代わりに荘厳な聖堂や劇場が立ち並ぶ景観が特徴で、張り巡らされた運河から「北のヴェネツィア」とも称されています。
緯度が高く夏の日照時間はかなり長いです。夜11時になっても明るいので、川沿いでビールを飲んでいるといつの間にか日付が変わっていた、なんてことも多々あります。ロシアといえど、夏は汗ばむのです。
特筆すべきは6月中旬から7月初旬にかけて、朝方まで日没しない「白夜」が訪れることです。観光客も増え、何とも言えぬ高揚感に包まれるこの時期は、1日が24時間とは思えず、自ずと睡眠時間が短くなります。

ホワイトナイツ

そんな街のシンボルとKnights(騎士)を由来とする「ホワイトナイツ」が、ペテルブルク唯一のラクロスチームです。
私がこちらにやってきた2016年2月末、フェイスブックを通じてキャプテンのジョンと連絡を取り練習に参加させてもらいました。ジョンはワシントン出身の米国人。当時の私はロシア語を全く話せなかったので、もしキャプテンが英語を話さないロシア人だったら、練習に参加できていなかったと思います。

ホワイトナイツ

日本人が練習に参加するのは初めてとのことでしたが「(日本では)ラクロスがカレッジスポーツとして確立していてプレーの質も高いと知っている」と言われました。ジョンのラクロス歴は3年ほどですが、米国でのプレー経験はありません。
チーム構成は米国出身者が3~4人、ロシア人が7人程度、それに英国、フランス、チェコ人と合わせて計15人くらい。アメリカからの留学生で女子ラクロス経験者もいて、男子のメットとクロスを使って上手くやっていました。彼女も含めた男女ラクロスの経験者は5人程度で、残りはホワイトナイツで始めたそうです。年齢は20代前半~40代と様々で、大半が社会人でした。(大学生が少ない理由はロシアの教育システムが関わってくるので次回以降に詳述します。)
練習は日曜日午前中と平日夜の週2回。夏は人工芝の屋外コート、冬は屋内のフットサルコートを使います。
メニューの説明は英語とロシア語ですが、グラウンドボール、クリース、フェイスオフなど、日本でも使うラクロス用語はこちらでもそのまま使われている印象です。一方、試合中はロシア語でコミュニケーションを取ることが多いです。審判にもロシア語で意思を伝える必要があります。ちなみにゴーリーは「ブラタリ」ディフェンスは「ザシー(ト)ニック」、ボールは「ミャーチ」、チェックアップした時は「モイ(私の、My)」。私の場合、1年でようやくチームメイトが求めることを理解できるようになりました。

練習前のミーティング

キャピタルカップ

国内にはホワイトナイツのほかに、古都ヤロスラブリとモスクワにしかチームがありません。日本ではあまり知られていませんが、ヤロスラブリはモスクワの北東近郊の「黄金の環」と呼ばれる都市群の一つ。チームができたのが最近のため、まだフルゲームをこなすのは難しい状況です。
一方、ホワイトナイツとモスクワラクロスクラブ(MLC)は長年のライバル関係にあり、春と秋の「キャピタルカップ」でロシア・チャンピオンを決めるのが恒例となっています。春はペテルブルク、秋はモスクワを会場とし、私が出場した2016年は一勝一敗でした。ただ、ここ最近はホワイトナイツが連敗していたため勝利は実に3年半ぶり。運河を走る船上で行われた祝勝会は大いに盛り上がりました。

試合後の1枚

すべてが新しい

ホワイトナイツに入って1年になろうとしていますが、すべてが未体験のことばかりです。
そもそも海外でラクロスするのが初めてでしたし、夏には海外遠征に行き、モスクワチームのキャプテンと二人で東欧のトーナメントに参加しました。野外フェスにラクロスのブースを出して、パフォーマンスをしたこともありました。(機会があれば紹介します)。
一方で、チームの課題として一番に挙がるのは、プレイヤーの獲得・育成です。私のような外国人プレーヤーの多くは、数年以内にペテルブルクを離れることが多いため、長くプレーできるロシア人がチームを支える必要があります。前述したフェスやアメフトの試合会場など、若者が集まる場所に出向いて勧誘しているほか、テレビ番組に出てアピールしたこともあるそうです。
経験のある日本人ラクロッサ―ができることは無限にあります。ロシア語ができれば有利なことには変わりませんが、必須というわけではありません。たとえ10年振りでもぜひ、ロシアンラクロスに足を踏み入れてほしいと思います。私も似たようなものでした。
最後にチームメイトに「ロシアのラクロスの特徴とは何か」と質問したところ、体で表現してくれました。次回はモスクワ編です。

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