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【こぶ平レポート】全日本選手権女子|進化の激突はどのような結果をもたらしたか?

一方のNeOの場合、その頃には影も形もなく当時のTeen’sラクロスを経験している人もいません。
2009年に、新制大学選手権が始まります。この頃にワールド杯を経験した選手、指導者のフィードバックが注入され始め大学のラクロスが変わり始めます。しかし、技術力の高さによるクラブの優位を凌駕するのは2012年の慶應義塾を待つ形になります。
NeOはその時代からラクロスを始めた選手のチームなのです。
大学ラクロスの進化は2011年立教大学が関東を制覇し、関西学院が1994年以来の大学日本一の座を掴む事により、体育大優位の女子ラクロス時代の終焉を告げます。そして、2012年慶應義塾大学が関東リーグで初優勝を獲得し、一気にクラブを破って日本一の座を掴んだ所で女子ラクロスの進化の方向が決まったと言えます。
その進化の方向とは、男子では既に確立されていたゴーリーも一人のフィールドプレイヤーとしてセーブだけではなく、パスカットやディフェンスラインを上げる役割を持ち、全員が動くラクロスを目指すというものです。これは2008年に体感した技術優位のラクロス像に新しい運動性を加えたラクロスへ進化を慶應が始めたのです。(国際的・男子的には確立されてはいたのですが。)

そして、その年の慶應義塾には象徴的なゴーリーが居られたことは前回もお伝えした通りです。
渡邊光里選手です。実は新しいラクロスの申し子のような選手NeOの創設メンバーです。興味深い輪廻ですね。
この2012年13年というの日本女子ラクロスの変換点の中核メンバーが、2011年U19、2013年ワールド杯に選ばれた学生選手(慶應の日本一を担った選手も、又その慶應に阻まれた選手も含めて)であり。新しいラクロスを追求するためにNeOというチームを結成したのが2013年。
そして、NeOには、2014年からの明治大学、関西学院大学に日本一をもたらした進化形ラクロスの体現者2013年明治のツインタワーが参加しています(現在は170cmを越える動ける選手も増えてきています。慶應の#96さんが典型ですね。当時は稀有でしたが、突如明治大学に2人現れた。今回の決勝にも出場した、剱持選手と稗田選手です。)
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そして、その新しいラクロスは運動量を必要とするものであり、技術を加えた総量が、豊富な練習量と比例して大学優位として現れ、以降3年間大学優位の時代を演出したのだと言いました。
しかし、NeOの選手たちは違いました。今年を含め3度の世界との対戦経験というのは、協会関係者や立教大学、青山学院のHCぐらいです。(慶應チームは毎年となったUS経験が大きな体験として糧になった事は事実です。)そういう体験からの進化を自分たちに課して進んできた4年間だったのです。大学で進化を始めたラクロスを国際規格に変えてリードをしていきたい。その進化を自らに問い続けたのです。

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