連載企画「社会に出てから大切なことは全てラクロスから学んだ」~敷浪一哉編~
2020年4月~7月末までの間にコロナに立ち向かう勇気を与えるための企画としてLACROSSE PLUS上に掲載されたSELL代表・柴田陽子の連載コラム、
「社会に出てから大切なことは全てラクロスから学んだ」 の延長企画として、プラキャリにて様々なラクロス関係者がこのコラムを書き続けることになりました。
記念すべき第1回を担当するのは敷浪一哉さん。
昨年のU19女子日本代表のアシスタントコーチであり、現在は社会人クラブMISTRALのヘッドコーチ。元々は母校である東海大学男子ラクロス部でコーチを務めた経験もお持ちで、古豪VALENTIAを創設したメンバーの一人でもあります。まさに、男女ラクロス界の両方に精通するお方です。人生ラクロス一色かと思いきや、二人のお子さんを持つパパであり、本業はなんと建築家!そんなラクロス×家族×仕事の全てをやり切っている敷浪さんに、「ラクロスから学んだこと」を取材させていただきました。
・自己紹介
北海道の最東端根室市生まれ。家の前から国後島が見える環境で外国を身近に感じながら育ちました。パノラマに広がる空と海と草原が原風景。中学から親の転勤で千葉へ引っ越し東京の高校へ通うことになり、都会と田舎のハイブリッドな子ども時代を過ごしました。小学校では田舎で他に選択肢が無いため、野球をやりました。冬はグランドがアイスリンクになるため、自動的にスピードスケートをやっていました。クリアで走り上がるのが得意だったのですが、おそらくスケートとスキーで築いた感覚だと思います。大学で新しいスポーツをやろうと思い、アメフト部の練習を見学しに行ったら隣でラクロスをやっていて「なんだこれは?」ってなったのがラクロスとの出会いでしたね。携帯電話もインターネットも無い時代でしたので、なんだかよくわからないけどカッコいいし面白そうっていうだけで始めました。今ではラクロスのない生活は考えられないです。
・ラクロス歴
東海大学は当時入れ替え戦常連校でしたが、2年生の時にすごい先輩たちのおかげでいきなり関東で準優勝しました。当時僕はLMFでしたが、ライド時にATとフライして相手のロングに圧力をかけに行ったりしていました。奇襲が多いチームでしたが、アイデアを練るのは楽しかった記憶があります。みんなでキャッキャいいながらやっていましたね。3年時は準決勝で早稲田に、4年生の時は準決勝で慶應に負け、同じく準決勝敗退の日体大の仲間と共に「新しいチームで日本一になろう」と、つくったのがVALENTIAです。チームが始動したら、早稲田も慶應も合流していてずっこけましたけど。
僕自身は全然活躍はできませんでしたが、「まわりのすごい選手をどう活かすか?」というところのイメージはたくさん浮かぶので、捨て石のスペシャリストになりたいなと思いながらプレーしていました。おかげさまで、2年目で日本一になることができました。僕自身は建築士の受験をするためこの年でラクロスを離れました。
再び指導者として戻ってきたのは2006年。2部に落ちた母校のピンチを助けたくて、コーチになりました。4年がかりでなんとか1部の中堅まで戻りましたが、息子が小学校に入りサッカーを始めてしまったため時間が取れなくなり、再び断念。その後、息子のサッカークラブの親仲間に女ラクOGの方がいて、お願いされて明学の女子をみることになったのが女ラクとの出会いでしたね。当時3部にいた明学が2年で1部昇格を果たし、それがきっかけで2015年のU19女子日本代表のアシスタントコーチにお声がけをいただき、2019年のU19女子世界大会でも引き続きアシスタントコーチを務めました。
今年は、東海大学男子ラクロス部の育成コーチと、関東の女子社会人チームMISTRALでコーチをしています。
昨年のU19女子日本代表のMTGでの指導風景
・ラクロスから学んだスキルTOP3を教えてください。
3位:ラクロスメイクスフレンズ力
やっぱりこれですかね。「ラクロスやっているの?」で世界中誰とでも友だちになっちゃうのは当たり前ですが、ラクロスに限らず初対面の人の懐にどうやって飛び込もうかっていうことも、ラクロスでものすごい量の人たちと出会ってきた経験が活きているのかなーと思っています。
2位:許容力
これは指導者になってからの学びでしょうか。たくさん出てくる様々な意見をつなぎ合わせて方向性を見出したり、選手を型にはめずに特徴をつなぎ合わせてストーリを組み立てたりすることが戦術なのかなとか。
小さな力を複数人合わせて大きくするという考え方はあまり好きではなくて、偏りのある能力を補い合ってバランスを保つという考え方に魅力を感じていますし、子育てや仕事面でもそういう考え方をあてはめるようにしています。びっくりするくらい腹が立たなくなりました。
1位:面白がり力
人生なんて困難なことだらけだと思うのですが、頭が自動的に突破口を探す動きになっていて、試行錯誤している状態がとても面白いと感じる思考回路になっていますね、完全に。「困難=面白い」と、パブロフの犬のようによだれが出ちゃう身体になったのは、ラクロスのおかげです。
・建築家を目指す生活とラクロスの両立はとても大変そうなイメージですが、どのように両立していたのですか?
設計の課題は大変でした。徹夜で課題をしながらそのまま朝練に行くなんていう日も多かったですね。ですが、本当に大変だったのは就職後ですね。設計事務所の修行は毎日深夜まで仕事なので、夜中や早朝にトレーニングしていました。しかも相当な安月給だったので、半分ヒモ状態でした…。
2004年には「シキナミカズヤ建築研究所」を設立し代表を務める。上は代表作品のひとつ。
・男子学生、女子学生、U19日本代表、女子クラブと様々な舞台でコーチを経験してきたと思いますが、コーチとして共通して求められる能力、逆にそれぞれの舞台で違う部分はありますか?
あくまでも自分自身が心がけていることですが、共通して言えるのは「コーチは答えを与える存在ではなく、ヒントを与える存在である」ということ。答えは選手自身につくらせるようにしないと、主体性のあるプレーができるようにはならないのかなと思っています。ですので、選手がヒントを求めて相談しやすい状況をつくってあげることが、最も大事なことなのかなと思っています。特に最近は、選手との年齢差が開いてきて近寄りがたい存在になりやすいんですよね。選手が話しやすい状況というのは、僕の性格ややりやすさを考慮したときに「多少ナメられている」ことが一番良いのかなと思っていて、特に女子選手相手の時は、そういう隙をつくるようにしています。そのおかげで、特に代表系の女子選手からは「なみなみ」とか「なみこ」とか呼ばれるようになりました。
・長年ラクロスに携わり続けていると思いますが、仕事とコーチと子育てのバランスはどのように保っているのか教えてください。
ラクロスに教えてもらったことはたくさんあります。それと同時に、建築や子育てから教えてもらってラクロスに活かされていることもたくさんあります。発信と受信は相互関係で一方通行ではないと思っているので、仕事とプライベート、子育てとラクロス、全てにおいての境界線をつくらずに生活をすることが自分にとって一番ストレスがないのかなと思っています。
例えば、子どもが小さな時は仕事や出張にずっと連れて行っていました。もちろんラクロスにも。子連れで合宿に参加しますし、グランドの脇で仕事することもしょっちゅうあります。全てをミックスさせることでバランスをとっているという表現が一番良いですかね。ONかOFFをする方法ではなくて、2:8の割合とか6:4の割合とか、0にも100にもしない暮らし方をしていますね。
・最後に、今振り返って、ラクロスやっていてよかったと思うことを教えてください。
ラクロスをやっていて良かったことだらけです。多くの友人に出会いました。一緒に仕事をするような関係にまでなっている人も何人もいます。「ラクロッサー」というだけで、なんだかよくわからないですけど信頼感があるんですよね。そもそもラクロスというスポーツを選んでいるというところで、価値観が合うことが多いかなと思います。
今年は大変な一年を過ごしていますが、改めてラクロスの力強さを感じています。もともと主体性の塊のような人たちが集うのがラクロスだったのですが、最近は競技をする環境が良くなってきたせいか、受け身な選手が多いなーと感じていました。しかし、この状況下で様々な活動をしている姿を見ていると、やっぱりラクロッサーはラクロッサーなのだなと思いました。みんなポジティブ!
みんな、自分が思い描いていた理想からは程遠い日々を送っていると思います。それでも自分たちがやれることを探して、固定概念にとらわれず、失敗することを恐れず、目の前にある「一番やりたいこと」と「一番やるべきこと」に全力で挑むことをしていれば、人生は本当に楽しいことだらけです。
明日の自分に全力で挑むことは楽しい
昨日の自分より成長することは楽しい
この二つは僕がラクロスから教えてもらったことです。
そして、今ラクロスをしているみんなに、苦しさを楽しさに変えながら何事にも楽しめる大人になって欲しいなという願いを込めて、この言葉を送ります。
喜びとともに 成長あれ!