【ラクロッサー×青年海外協力隊】桑山瑠美さん|ガーナ
前回ご紹介した【ラクロッサー×青年海外協力隊】蔵本有紀さん|ザンビアに引き続きラクロッサーで青年海外協力隊に参加している方をご紹介します!
この方は実は現役時代の大学4年次に学生選手権で優勝した経験をお持ちです。
ラクロスも全力、その後のキャリアも全力!素敵女子のこの方をご紹介します!
桑山瑠美さん|ガーナ
【名前】桑山瑠美
【SNS】Facebook:桑山瑠美
【年齢】28歳
【出身大学】日本体育大学
【出身地】神奈川県
【ラクロス歴】日本体育大学大学にて4年
【あなたにとってのラクロスの魅力】
いつまでも繋がっていられる仲間ができたこと。大学卒業後から現在まで海外で仕事や活動をしています。そのため、日本に帰国できるのは年に一度か二年に一度…卒業して6年経ちますが、一時帰国の度に同期の仲間と集まっています。そのときは、学生時代に戻ったかのように大学時代の思い出話をしたり、近況報告をしたりしています。
【印象に残っているラクロスでの思い出を一つ】
大学4年生のときに学生選手権で優勝したことです。試合には出ることができませんでしたが、フィールドと応援が一体となり戦えた試合でした。
【青年海外協力隊になろうと思った理由】
今日、インターネットを使えば、たくさんの情報が手に入ります。しかし、その情報全てが正しいとは限りません。自分の目で見たことや肌で感じたこと、経験したことを子どもたちに伝えたいと思ったため、その国の人と密に関われる青年海外協力隊の道を選びました。
【青年海外協力隊になるまでの経緯】
日本体育大学卒業後、2014年4月から中国・上海日本人学校で2年間保健体育教諭を行い、2016年4月からタイ・バンコク日本人学校で3年間養護教諭を行いました。2016年7月に青年海外協力隊(春募集)の試験を受験し合格。2017年4月から福島県二本松で70日間の派遣前訓練を受け、2017年6月末より2017年度1次隊青年海外協力隊としてガーナに学校保健で派遣されています。
【派遣先の国】
アフリカ大陸のガーナ共和国!
【派遣先の地域のいいところ】
人の温かさを感じ、毎日笑顔でいられるところです。ガーナの方はとても社交的で、街中で人とすれ違ったときには必ず挨拶を交わします。その挨拶から会話が始まり、すぐに友達になることができます。また、近所の人はしばらく顔を見ないと心配して連絡をしてくれ、帰ってくると『待ってたよ』と声をかけてくれます。家族のように受け入れてくれる任地に戻ると、いつもホッとします。
【派遣先であった面白い話】
ガーナの方は本当に写真好きです!カメラを向けると小さい子でもポーズをバッチリ決めます。だけど、自然な笑顔を撮りたくてもカメラに気付くと、どうしても真顔になってしまう…いかに自然な状態をカメラに収めるか日々模索しています。
【派遣先の国の言語で「こんにちは」は?】
Me ma wo aha(メモウォ アハ)
ガーナでは公用語が英語、各地域によって異なる現地語があります。私は、Fante語という現地語を勉強しています。
【LACROSSE PLUS読者へメッセージ】
体育大学出身のため、『学生時代は何のスポーツをしていたの?』と聞かれることがあります。そのとき、“ラクロス”と答えても知っている人は日本人でも半分ぐらい。外国人になると少数です。まだまだラクロスがマイナースポーツなんだろうなっていうのを感じます。しかしラクロスをしていた人が海外で活動されていることは少なくありません。今回【ラクロッサー×青年海外協力隊】のインタービューを受けるにあたって、私以外にも途上国で活動されているラクロッサーがいることにびっくりしました。
きっとこの記事を読んでくださった方は海外に興味はある人が多いと思います。だけど、中には一歩踏み出せない…という人もいると思います。ラクロスをして培った、挑戦する気持ちや好奇心など海外に向けてみるのはどうでしょうか?その一歩を勇気を出して踏み出せば、新しい自分を見つけることができるかもしれません。
ラクロッサーが日本だけに留まらず、世界で活躍されることを応援しています。
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ガーナ共和国。ラクプラ中の人は名前は聞いたことがあっても、実際どこだかわからなかったです。
日体出身の方が日本から超遠いガーナで青年海外協力隊として活躍してるって意外な気もしますが、さすが体育大、パワフルだな、かっこいいなと思いました。
再掲ですが・・・
大学でのラクロスを終えたらほとんどの人がラクロスを離れてしまっている今のラクロス界の状況。
ラクロスを終えた後にみんな様々な道に進んでいます。
あなたはラクロスが終わってから、どんな道に進みますか?
ぜひ少し考えてみてください。
【ラクロッサー×青年海外協力隊】
1)蔵本有紀さん|ザンビア
次回もお楽しみに!