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【ラクロッサー×海外】衛藤 芳樹さん|ザンビア

今までラクプラでは【ラクロッサー×青年海外協力隊】として4名のラクロッサーをご紹介してきました。
ザンビアにいる蔵本有紀さん苗村 瑞穂さん、ガーナにいる桑山瑠美さん、ボリビアにいた広松七苗さん
みなさん発展途上国で人の役に立つ様々な分野で仕事をしたいという熱い気持ちをお持ちでした。

今回ご紹介するラクロッサーは、現在ご自身の専門分野についてより深く学ぶ&現地の方のサポートをするために海外・ザンビアにいらっしゃいます。
大学卒業後日本で仕事をしたのちに、その仕事の分野での活動範囲を “海外に広げる” ということはどんなことなのでしょうか。ぜひご覧ください。

衛藤 芳樹|ザンビア

【お名前】衛藤 芳樹(えとう よしき)
【年齢】33歳
【出身大学&大学時の専攻】北海道大学 獣医学部
【出身地】山口県
【職歴】産業動物獣医師6年弱、大学職員1年半
【ラクロス歴】大学4年、クラブチーム8年(スペーストラベラーズ:北海道)、オーストラリア1年

ー現在の居住地を教えてくださいー
現在はアフリカ大陸にあるザンビアに住んでいます。

ー現地の仕事の仕事内容を教えてくださいー
勤務先・所属は日本の大学ですが、ザンビアでのプロジェクトに長期派遣されています。現地の大学の獣医学部で技術系スタッフとしてウイルス感染症の研究に携わっています。研究を進めると同時に、現地の研究者やスタッフと一緒に活動することを通して、ザンビアでのウイルス研究基盤の構築、人材育成の支援をしています。

ーなぜその仕事を行おうと思ったか教えてくださいー
まず今の仕事は知人の紹介でこのポストに空きがあることを知りました。自分の今までの仕事の専門分野と完全に一致するわけではなかったのですが、経験を生かすこともできそうで、かつ途上国での生活も面白そうだと思ったので応募をしたことがきっかけです。

ー今の仕事の面白みややりがいを教えてくださいー
こちらの人は、もちろん人にもよりますが、仕事に対する認識が日本人とはかなり違います。それを認めつつも、現地スタッフだけでも業務を滞りなく行うためにはどうすればいいか?大変ですが価値観の違いを感じられて面白いところでもあります。10年、20年後にこの地域のウイルス研究や感染症コントロールをリードしていく大学・国になっていられるように、あるいはそれらが教育へ反映され優秀な獣医師が育っていくように、少しでも力になれたらなと思います。

ー現地であったおもしろエピソードを教えてくださいー
仕事で感染症を媒介する野生動物や昆虫を取ることがよくあります。「ここらへんに○○いる?」と聞くと大体「マニンギ、マニンギ」(現地語でたくさんという意味)と返ってきます。でも、少ししかいないことばかり。1、2の次が3ではなくマニンギになってしまうザンビア人、そのおおらかさにも慣れました。

ー今の職につくまでの大学卒業以降のキャリアを教えてくださいー
卒業後は北海道で牛や馬の獣医師として働いていました。初めて途上国を訪れたのが高校生の時。それ以来、漠然と海外や国際協力に興味があったため、思い切って6年目の冬に退職しました。その後、日本以外のことも知れば幅が広がると思い、酪農畜産業の形態が日本のそれと全く異なるオーストラリアへ。1年間ほど滞在し、帰国後は大学の技術系職員として就職。ザンビアへ赴任して現在約1年半になります。

ーオーストラリアでの生活について教えてください。オーストラリアではどのようなことをされていましたか?ー
オーストラリアでは様々な都市に滞在し、仕事にラクロスと様々な経験を積むことができました。

南オーストラリア州アデレード(2か月滞在)
渡豪し、最初の2ヶ月間の間は語学学校に通ったり、次のプランの準備や仕事を探したりしていました。この時期、現地の人とのつながりができたらいいと思い、ラクロスチーム探しました。たまたまインターネットで見つけた現地のクラブに行ってみると、アポなしにもかかわらず歓迎してくれました。
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ビクトリア州ウォドンガ(1か月滞在)
家族経営の中規模酪農家に住み込みで働きました。ここでは日本の酪農との違いにかなり衝撃を受けました。
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アデレード(4か月滞在)
ウォドンガ滞在中にアデレードのラクロス友達に一緒にラクロスやらないかと誘われ、アデレードへ戻りました。クラブの皆さんがとてもよくしてくれました。チームメイトが家の部屋を貸してくれ、本当の家族の様に受け入れてくれてうれしかったです。
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タスマニア州(5か月)
大規模の酪農家で働いていました。同僚のフランス人、イタリア人と住んでいて、また違った文化や価値観に接することができました。休日には、海や山へ行ったり、現地の獣医師と一緒に診療に回ったりしました。
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日本へ帰国


ーオーストラリアでのラクロスについて教えてください。現地ではどんなチームに所属しプレーをどの程度しましたかー
南オーストラリア州のチームで、レギュラーの半分以上が現役も含め代表経験者。カナダ人やアメリカ人もいました。シーズン通して週2で練習、週1で試合。その年は無敗でリーグ優勝しました。

ーラクロスをやっていてよかったなと思ったエピソードがあれば教えてくださいー
特にこれといったエピソードはありませんが、ラクロスを通じていろんな人に出会えたこと。オーストラリアではラクロスをするつもりはなかったのですが、現地の人とのつながりがなかなかできず、ラクロスに頼ってみました。そしたら一気に人脈が広がり、そこで知り合った日本人の方々にもたくさんお世話になりました。もちろん他のスポーツや活動でも人に出会えたと思います。ただ、ラクロスコミュニティの適度な狭さ(ありふれているわけでもなく、かといって全然いないわけでもない)が、ラクロッサー同士の妙な親近感や強いつながりを作っているような気がします。

ーLACROSSE PLUS読者にメッセージー
ここまで読んでくださりありがとうございます。

海外で生活してみたよかったこと。
月並みな表現ですが、世界が広がったことです。
異なる文化や価値観の中で生活した経験に加えて、周囲の人から教わったことが多くありました。

海外では日本人コミュニティが小さく、様々な人と出会えます。各分野で色々な経験や専門的知識を持って活動している人の話は面白く、刺激を受けます。また、自分の知らなかった分野について知ることを通して、新しいものの見方や考え方、価値観など貴重なものを得られました。日本にずっといたら、得られなかったかもしれません。

ただ、今振り返ってみると、日本でも違う分野で活躍している人や、自分と違う世界や考えをもっている人は周囲にたくさんいました。また、そういう人とつながる機会も意外と多くあります。ただそれを知らなかった、興味を持っていなかっただけでした。

少し視野を広げてみてください。少し興味の範囲を広げてみてください。自分の知らない世界を知る人がたくさんいます。そんな人とつながる機会がたくさんあります。人とのつながりを大切にして、どんどん自分の世界を広げていってほしいと思います。そこには必ず自分のプラスになるものがあるはずです。

最後に、もし海外に興味があるけど一歩を踏み出せない方がいたら。
自分にはハードル高いなって思っていますか?
跳んだ後に分かります。きっとそのハードル、思っていたほど高くないですよ。


Yoshiさんは大学時代、ラクロスだけではなく、自分の専門分野の勉強をしっかりと行われていました。
それがベースとなり、今までのキャリア、そしていまのこの仕事=海外に繋がっています。

みなさんは大学の授業をしっかり受けていますか?ラクロスだけやっていませんか?
勉強(仕事)もラクロスも頑張る、それがラクロッサーのいいところです。
自分がラクロスしかできてないなと思う人はぜひラクロス+α、身につけていきましょう。

みなさん、『いま』海外で仕事をしている・活躍しているラクロッサーの声を聞く機会、なかなかなかったですよね。
これからラクプラでは『いま』海外で活躍するラクロッサーをたくさん紹介していきたいなと思っています。ご期待ください。

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