【ラクロスコラム】#8 私がラクロスから学んだもの File.002|SELL代表 柴田 陽子
「私がラクロスから学んだもの」シリーズ第2弾を書いてくれるのは、“ロイ”こと青木(旧姓:昆野)絵美璃さんです。
青学出身で、私と同い年。そして私が社会人クラブCHELに移籍した年の主将を務めていたという、なんとも縁の深い間柄です。
そんな彼女ですが、大学時代はほとんど関わりがありませんでした。
ただ、その中で一つだけ覚えていることがあります。
それは、彼女の引退試合となった青学のリーグ最終戦vs.日体の一戦です。当時私は慶應の4年生で、FINAL4で対戦する可能性が高い日体のスカウティングのために、その試合を観戦していました。ロイは青学の主将を務めており、「魂」「気合い」という言葉がぴったりの熱いプレイで、青学の応援席を沸かせていました。面識があまりないにも関わらず、一瞬一瞬にすべてを捧げるその姿には、大きく心を動かされたのを覚えています。その後に私が青学のHCとして、少しずつ知っていった“青学のOG”というフィールド外のロイもまた、そのイメージ通り、熱くて真っすぐな人でした。
2014年、FUSIONでの5シーズン目を終えた私は、どこかラクロスを純粋に楽しむことを忘れてしまっていました。主将を長くやっていたことや、FUSIONの中での年次もあり、責任感でプレイをしている部分が年々大きくなっていることに疲れを感じていたのだと思います。そしてそんな気持ちと比例して、自分自身のプレイの成長が止まっているのも感じていました。残留か、引退か、移籍か…悩んだ末に、慶應の同期、そしてロイが熱心に声をかけてくれたCHELへの移籍を決断しました。
CHELでのロイは、6年前の引退試合で見た印象そのものでした。熱血度合がすごい。どこまでもストイックで、真面目すぎるくらい真面目。私が移籍する際に大きな懸念だったのが、当時キツいと有名だったCHELのトレーニングでした。トレーニング嫌いな私に、ロイは「全然大丈夫!まじで余裕だから!昔より減ったし!」と入る前に言っていました。無論、入ってすぐに、彼女の余裕と私の余裕レベルがかなり違うことに気づきました。
CHELに移籍した当初、私にはそこまでのラクロス熱量がありませんでした。「とにかくもう一度ラクロスを楽しみたい」と思って移籍したのもあり、“絶対に勝ちたい”という気持ちや、そのために平日も頑張って練習するというほどのモチベーションがなかったのです。加えて、青学のHCも務めており、コーチングを自分のプレイよりも優先することも、私の場合は少なくはなかったと思います。
そんな私をCHELで本気にさせてくれたのが、ロイです。ロイにもっと真面目にやれと言われことは一度もありません。(本当は色々と思っていたかもしれませんが)しかし、ロイはいつだってチームのために一番行動していました。こんなスタンスの私にも常にガンガン意見を求めてくれました。長年持っている膝の怪我も、フィールド上での立場も、きっと裏では投げだしたいときもたくさんあったのだろうなと思いますが、それをチームの前では決して見せませんでした。そんなロイがいたから、私も「この人のために頑張ろう」と思い、次第に自分でも不思議なくらいストイックに、CHELが勝つために必要な努力をするようになりました。
その年は私を含め、多くの移籍選手が運命的にCHELに集っていました。メンバー構成が大きく変わったため、限られた時間の中でそれぞれが別チームで磨いてきた感性をすり合わせ、融合させていく必要がありました。シーズンが進むほど、それがどんどんかみ合っていく実感があり、苦しさの先で心底「楽しい」と思えた年でした。それができたのは、チームの変化を快く受け止めてくれたCHELに元々在籍していた選手たちの姿勢と、何より一人ひとりの良いところを引き出そうと休まず動き続けてくれた主将があってのことだったと感じています。その結果、CHELはその年、予選3位からの快進撃で東日本クラブの頂点に立ち、全日本選手権3位でシーズンを終えることができました。
私はCHELに3シーズン在籍しましたが、あれからまた大きくメンバーが入れ替わり、今では私が一緒にプレイしていたメンバーは2人しか残っていません。ですが、いまでもCHELは、どれくらい練習に来られるのか、どこでプレイしていたか、どれだけのラクロスレベルの選手か、そんな違いを良い意味で気にしない、多様性に溢れたチームだと思います。全てを受け入れ、久しぶりに会っても家族のように受け止めてくれる、そんな良さがあるチームです。今年の主将は青学を卒業後、母校で4年間コーチをして、昨年プレイ復帰をした私の教え子です。バイタリティー度は教え子の中でも歴代no.1くらいの選手なので、きっとロイとはまた違った良さを持った面白いチームになるだろうなと楽しみにしています。
CHELで出会った翌年、私は青学の大々的な育成改革という超重要任務の担い手をロイに打診しました。理由は簡単で、どれだけ時間がかかる大変な任務でも、ロイなら絶対に全力でやり遂げてくれる信頼があったからです。ロイはこの打診を快諾してくれ、あり得ないくらい長い相談のLINEが送られてくる日々が始まりました。そこから3年間、ロイは青学の育成に全てというくらい莫大な時間と労力を捧げてくれました。
急にウィンターに向けて1年生の合宿をしたい、HCにも参加してほしいと言われ、私では一生思いつかなかった取り組みを、青学の当たり前の文化にしました。
1年生の大会前の時期は、朝練に30分参加するために始発で1時間以上かけてグラウンドに足を運び、それを大会が終わるまで毎日続けていました。
ロイから毎日報告が来るので、私まで1年生と一緒に戦っているような気持ちになりました。
青学初のFINAL進出を果たした代は、その育成改革初年度の選手たちです。
ロイの毎朝30分の積み重ねなくして、あの舞台はなかったと思っています。
彼女から私が学んだこと。
やり続けることの大切さ。
真っ直ぐさ。
そこに人の心は動くということ。
LINE相談の長さに限度はないということ。
書いてくれた文章も、本当に真っ直ぐでした。
ぜひ読んでください。
私がラクロスから学んだもの|青木(旧姓:昆野)絵美璃さん
■自己紹介
1986年生まれ(しゅんと同級生)、髪はテンパで、おでこは狭め、顔はマイケル富岡ですが、純日本人のロイ(コートネーム)です。
高校までバスケをやっていて、ラクロスは大学から始め、社会人では9年間CHELでプレーし、2015年から3年間青学の育成コーチを務めました。
ラクロスと結婚するんだねと周りからは言われ続け、2017年に行った占い師さんからはコーチと選手と会社員をやっているなんて、結婚無理だね、と断言されましたが、なんとか結婚し、今ではもうすぐ2歳になる息子とゴミ収集車を見に行く日々を送っています。
■柴田との関係
〇本当に最初の出会い
恐らく大学2年の時に行ったフレキャンが最初の出会いでしたが、その時はほぼ関わりを持てず、だいぶ離れたところから一方的に見ていた記憶です。
〇大学時代
大学2・3年の時に、リーグ戦で対戦し、とにかく左利きの足速すぎるキーマン(1on1仕掛ける前に少しジャンプするクセあり?)という印象でした。
〇社会人
いつからしゅんと話すようになったのか、、覚えていませんが笑、いつの間にか友達になり、
2014年には、まさかのCHELに入部してくれて、しゅんとの深い?付き合いが始まりました。
この年は主将を務めさせてもらいましたが、未熟なところも多く、そんなところをしゅんに沢山補ってもらいました。
戦績としても、全日準決勝までいき、目標の日本一には届かなかったけど、個人的には過去最高の舞台に行くことが出来ました。しゅんがこのタイミングで仲間になってくれたこと本当に感謝しています。
そして2015年に青学の育成コーチに誘ってくれました。
もともといつかは母校に関わりたいという想いはありながらも、選手生活に没頭していたので、コーチと選手の両立は不安もありましたが、よし!やってみよう!と決意でき、育成コーチを引き受けさせてもらいました。
育成コーチを始めたことで、大げさに聞こえるかもしれませんが、人生が再び輝いたような感覚で、選手でのやりがいとはまた違う、ものすごく大きなやりがいと学びがコーチにはあり、本当に楽しくイキイキと毎日を過ごすことが出来ました。
また、青学に関わって下さった偉大なコーチ陣をはじめ、現役の学生等、本当にかけがえのない人たちと出会うことも出来ました。
こういう機会・環境をつくってくれたことにも大変感謝しています。
しゅんは、同級生とは思えない本当にすごい人。
人としてちゃんとしている、人に対して誠実で人を大切にする(恋愛面については言及さけます)から一緒にいてすごくあたたかくなる、人とは違う視点で物事を考える、チャレンジ精神・成長意欲がすごい、からいつも刺激的で新たな発見・学びがあり、ワクワクする、思考を整理するのが本当に上手でまたそれを伝えるのも上手だし、言葉にあたたかみがある、からいつも勉強になる、こんなにすごいところいっぱいなのに、変なしゃべり方するし、ちょっと抜けているところあるし、謎にひよこ好きすぎるし、いい意味での隙?があるから近寄りやすいし、人間味があって、良いなぁと思います。
そしてお父さん、お母さんが素敵すぎる。会場でお会いしたり、しゅんの実家にお邪魔させて頂いたりするたびに、沢山笑わせてもらい、沢山なるほどな、と思うことがあり、今のしゅんがどうやって育ってきたのかがよくわかります。
というのが柴田さんとの関係です。
■ラクロスから学んだこと
① まず「人として成長すること」の大切さ
ラクロスを通じて、まず人としてどうあるべきか、ということの大切さを学びました。
技術はあるが人として当たり前のことができない・人に対して思いやりがないような人がいたとして、
その人の発する言葉が胸に響くか、その人についていきたい・支えたい・信頼したいと思うかというと、私はそうではありません。
もちろんスポーツをする上で、技術・実力は大切です。
でもその前に、まず人として魅力的な人でありたいと思っています。
何故、そう思うようになったか。
これまでラクロスを通じて、関わってきた方々の多くが、人として魅力的な人だったからです。
挨拶、礼儀、感謝の気持ち、思いやり、相手を敬う、素直で正直で誠実、話を聞き自分の想いを伝える、など
こういった人として大切なことを当たり前に大事にして、相手と接することが出来る方々は、すごく魅力的で、一緒にいたい、信頼したいと思います。
人としての土台があって、はじめて、ラクロスにおける強い組織作り・技術の向上が出来ると思います。
また、社会人になり改めて思いますが、仕事でも人生でも必ずといっていいほど、人と関わり生きていきます。この先も人との繋がりが全てだと感じます。
私も自分がこういう人とだったら一緒にいたいな、信頼したいなと思える人になれるよう、社会人の今でも努力をして、人として成長していきたいと日々思っています。
② 一人一人と向き合い、話し合うことの大切さ
高校生までは、自分の周りには価値観の似ている友人ばかりがいて、それが当たり前の環境だと思っていました。
しかし、大学生になった時、社会人になった時、自分とは全然考え方の違う、価値観の違う方々との出会いがありました。
最初は正直戸惑いました。生きてきた環境が違うからかな、どうしてそういう考え方するんだろう、と悩むことも多くありました。
でも自分と違う考え方をすることが良いとか悪いとかではなく、まず相手が何を考え、何を大事にしているのか、どうしていきたいのか、相手の言葉にじっくり耳を傾ける、そして、自分の考えを押し付けるのではなく、一つの考えとして自分はこう思う、ということを伝えつつ、二人で互いを理解し、一緒にすり合わせていく、ということをすごく大切にしていました。
全てがこのようにうまくいくわけではありませんでしたが、それでも話し合った仲間の変化や成長が見受けられ、
チームとしてもまとまっていく経験も出来たので、やはりこうやって相手と向き合い、聞き合う、話し合うことは大事だなと今でも思います。
社会に出ると、学生時代よりももーっと色んな人と出会い、一緒に仕事をする機会があります。学生時代にこういう経験をしておくと、自分と違う考え方の人に出会ったときにも、相手と話し合うことができ、互いに尊重し合える関係になれるのではないかと思います。
③ 個性を生かす大切さ
ここはまさにしゅんから学びました。“【ラクロスコラム】#3 十人十色のONE TEAM”に詳細が書かれているので、ぜひ読んでみてください。
しゅんが青学のコーチに就任して、しゅんのすごさを後輩からよく聞いていましたが、その中でも特に印象に残っているのは、
「しゅんさんは、一人一人の良さを引き出してくれる、リーグ戦の出場が厳しいと思われていたメンバーが、しゅんさんのおかげで自分の強みを見いだせて、出場できるほどまで成長できた」というエピソードです。
私の学生時代は、学生主体の中、多くのことが手探り状態で、チーム目標であるリーグでの戦績を残すことに必死でした。自分の時間の使い方もいわゆるAチームに意識がいくことが多く、全員のいいところ、個性を最大限引き出す、というところの意識が足りなかった、力不足だったと、しゅんの話を聞き、思いました。
しゅんの考えを聞いてから、CHELでも、育成コーチの時も、一人一人の良さを見つけ最大限生かせるよう、また試合に出ること以外でもチームに貢献できる方法を一緒に探す等を意識しました。まだまだ力不足で、結果として十分なものではなかったと思いますが、そういった意識を持つことが出来たのは、しゅんの影響がすごく大きいです。
また、自分で自分をマネジメントし、自分の良さを見つける大切さも学びました。
これも仕事をする上で、すごく大事なことで、色んな人がいるからこそ、互いを尊重し、良いところを見つけ、認め、生かし合う、そして自分の良さも整理し、相手に伝え、自分の力を存分発揮できる環境をつくっていくことも大切だと思います。
④ どんなピンチも必ず乗り越えられる
大学1年生になる直前に右膝、社会人1年目に左膝前十字靭帯断裂、社会人3年目に半月板損傷、という大きな怪我をし、3回の手術をしました。
どれも、よし!新たなスタート!というタイミングでの怪我だったので、悔しさ、悲しさ、不安等、色んな感情が常にありました。
ただ、やってしまったものは仕方がない、手術をすればまた思いっきりラクロスが出来る、ここからは希望しかない、と気持ちを切り替えました。
特に社会人になってからの手術とその後は本当に大変なものでした。
平日も休日も慣れない仕事に追われ、ラクロスやリハビリが出来る時間も気持ちの余裕もありませんでした。
術後1年経っても、リハビリがしっかり出来ず、歩くだけでも不安定、走ることも、ましてやラクロスをやるなんて想像すらできない状態の日々でした。
そんな時に、CHELに新しいトレーナーさんが付いてくれました。多くの方もご存じ森川さんです。(森川さんも同級生。ですが、尊敬しすぎて敬語でしか話せません)
本当に森川さんは私の人生における救世主です。
歩くこと・走ることすらままならないところから、ずーーーっと一緒に地道なリハビリに付き合って下さり、
弱音を吐いても咎めることなく、寄り添ってずっと勇気づけてくれました。
CHELのチームメイトの励ましも、ものすごく力になりました。
そのおかげもあり、数年ぶりにまともに走れるようになり、ラクロスが出来るようになり、試合に出場し、得点を取れた瞬間は、本当に嬉しかったです。
この経験があり、何度ピンチになっても、1日1日地道にやるべきことを続ければ、必ず乗り越えられる、
そしてその経験が更に自分を成長させてくれる、ということ学びました。
また自分を支え、サポートしてくれた方々がいたことで乗り越えられたので、
自分自身もそういう局面にいる人の何かしらの力になりたいといつも思っています。
⑤ 情熱と意志があれば、いくらでも頑張れる!そして目標もあると毎日が楽しくなり、人生が輝く!
まず何かをするには情熱と意志が大事だと思います。情熱があればいくらでも頑張れます。
そして自分はどうしたいのか、どうなりたいのか、意志を持ち、目標を定めます。
目標があると、1日1日のやるべきことが明確になり、毎日そのやるべきことに全力を注ぐ、
そうするとすごくイキイキと楽しい日々を過ごせます。
実業家として有名な稲盛和夫氏もこう話しています。
「新しく何かを始める時は、多くの難問、難題が出てくる。
それを成功させるためには、自分自身を信じ、強烈な願望を抱いて目標を追い続けなければならない。
そうすれば、夢を実現させることができると、私は信じています。
創造の世界を司るのは、統計数字ではなく、それを創り出す人間の情熱と意志なのです。
日本の明治維新でも、またどんな革命でもそうですが、情熱だけが新しい時代を開くことができるのです」
といっても、高い目標を目指していると、キツイことも沢山あります。
まずラクロスの練習は朝早いし、社会人になってからは明け方に起床して、朝からウェイトトレーニング、インターバル走、自主練をガンガンやり、仕事にいく日々。
その生活のおかげで、常に眠い、目の周りのしわも増える、老ける、コケる(ことによりエラが目立つ)、
上手くいかないことも多くて、はげるほど悩み考える日々、
だけど、そんなキツさもやり切った時には、達成感が湧き上がってくる。
そんな毎日がとにかく輝いていて、生きてる!!最高に楽しい!!と思える日々を過ごすことが出来ました。
情熱を全力で注ぐとき・意志を持って行動するときの楽しさ、目標を持つことで毎日をイキイキと過ごすことができ、人生が輝く。こういった経験があるから、社会人になっても、これらを大切にして、人生をイキイキと楽しみながら過ごしていきたいなと思っています。
⑥ 自分が成長する楽しさと、誰かの成長に関わる楽しさ
上記に繋がりますが、目標をもって努力し続けると、出来なかったことが出来るようになる瞬間があります。
その瞬間はとても楽しく、ワクワクします。
成長するまでには、苦しいことキツイこともありますが、その過程さえも楽しめたら最強です。
この成長を楽しめる感覚、成長したいという意欲は、ラクロスに限らず、人生においてすごく大切だと思っています。
そして、自分の成長よりも、更に嬉しく感じるのは、関わってきた仲間や教え子の成長です。
正直目標に向かっているときは必死で、自分の成長は気が付きにくいところもありますが、
誰かの成長は客観的に見えているからか、少しの成長でも感じ取れるし、その成長を感じたとき、すごく嬉しくなります。
特に育成コーチを務めていたときは、教え子の成長が何より嬉しく、楽しく、頑張れる源でした。
これからも生涯何かしら成長し続け、自分を高めていきたいですし、誰かの成長に微力ながらも関わることが出来ればいいなと思っています。
■今振り返って、ラクロスをやっていてよかったと思うこと
本気で情熱を注げるものに出会えたこと、意志を持つ楽しさ、目標に向かって突き進む楽しさ、
一生繋がっていきたい仲間に出会えたこと、等、ラクロスをやっていてよかったと思うことは沢山あります。
その中でも、特に、「ラクロスを通じて本当に沢山の方々に出会えたこと」が何より良かったです。
青学先輩、同期、後輩、歴代のコーチ、CHELのチームメイト、トレーナーさん、他大の仲間、応援して下さる方々など、
出会えた全ての方々に、本当に多くの学びと刺激を頂き、人として大切なことを教えて頂きました。
今の自分の人間性や大切にしたいと思う考え・価値観は、出会えた皆さんの影響を受けて、出来上がっています。
これからも何かに情熱を注ぎながら、人との繋がりを大切にし、自分も出会えてよかったと思ってもらえる人間になれるよう、人間性を磨いて成長していきたい、と思います。
最後になりますが、長文をお読みいただき、ありがとうございました。
いまは子育て真っ最中のロイ。会社で人事としてバリバリ働きながら、子育てにも正面から全力で向き合う日々を送っています。その中でもこのコラムの依頼をしたら、こんな長さで想いを綴ってくれるロイだから、私はこの人のために頑張ろうと思ったのだなと、改めて思いました。
人生において、出会ってよかったと思う人は、必ずしも自分と似ている人ではないと思います。むしろ私の場合、似ていない人からのほうが多くの刺激をもらっている気がします。ロイは、私にとって、自分自身にはない素質を多くもっている人です。そんな同期に移籍して出会えて、選手としても、コーチとしても一緒に戦えた経験は自分にとってとてもありがたいことです。
SELL代表
柴田陽子
▶︎Profile
柴田陽子(1987年生まれ、兵庫県出身、神奈川県在住)
【学歴】
・大阪教育大学教育学部附属高等学校池田校舎卒業
・慶應義塾大学総合政策学部総合政策学科卒業
【社会人歴】
・アクセンチュア(SAPを専門に取り扱う部門でクライアント企業へのSAPシステムの導入プロジェクトに携わる)
・リクルート(リクルート住宅部門注文住宅グループ神奈川チームにて住宅雑誌「神奈川の注文住宅」の営業)
・WWE(米国最大のプロレス団体の日本法人にてマーケティング、ライセンシング、セールスなどをサポート)
・ナイキジャパン(通訳チームの一員としてスポーツマーケティング、ロジスティックス、テック、CSRなどの視察や会議の通訳および資料翻訳を担当)
・電通(オリパラ局の一員として東京大会の各競技のスポーツプレゼンテーションを企画。チームの国際リエゾンとして豪州のパートナー企業との交渉も担当)
・Second Era Leaders of Lacrosse(代表として団体創立に携わり現在に至る)
【ラクロス選手歴】
(所属チーム)
・慶応義塾大学女子ラクロス部(2005年~2008年)
・FUSION(2009年~2013年)※2010年~2012年主将、2013年GM
・CHEL(2014年~2016年)※2015年主将、2016年副将
(選抜チーム)
・U20関東選抜(2005年)
・U22日本代表(2008年)
・日本代表(2009年~2011年 )※2009年W杯参加
【ラクロスコーチ歴】
(所属チーム)
・慶応義塾大学女子ラクロス部AC(2009年)
・青山学院大学女子ラクロス部HC(2010年~現在)
(選抜チーム)
・U20関東選抜AC(2012年)
・U20関東選抜HC(2013年)
・U19日本代表AC(2015年)
・日本代表AC(2017年)
・全国強化指定選手団AC(2019年)
・日本代表GM兼HC(2020年~現在)
【主なラクロスタイトル】
(選手)
・関東学生リーグベスト12(2007年)
・東日本クラブリーグ優勝(2011年・2012年 FUSION、2014年 CHEL)
・全国クラブ選手権優勝(2011年 FUSION)
・全国クラブ選手権準優勝(2014年 CHEL)
・全日本選手権準優勝(2011年 FUSION)
・全日本選手権3位(2014年 CHEL)
(コーチ)
・全国最優秀指導者賞(2018年)