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【ラクロスコラム】#4 私がラクロスから学んだもの File.001|SELL代表 柴田 陽子


このコラムの連載が決まった時、私はラクロスを通して学んできたことを整理する作業に取り掛かりました。
その中で気づいたことが、学びの多くはラクロスを通して出会った「人」からもらっているものだということ。ラクロスの競技性、文化、環境に起因する学びも多くありますが、日本ラクロス界最大の財産は、いまこのスポーツに集まってきている人々の魅力、それに尽きると思っています。

当記事が初回となる「私がラクロスから学んだもの」シリーズでは、私に多大な影響を与えた数名の仲間が順に、それぞれの視点からラクロスを通して学んだことを書いてくれます。

今の私があるのは、多くの出会いに恵まれたから。
そう感じているからこそ、自分自身が学んだことだけを皆さんにお伝えするのではなく、私に多くの学びをくれた仲間がラクロスを通して学んだことも知ってほしいと思い、この企画を始めるに至りました。

ここでは敢えて、現在ラクロスの第一線で多くのことを発信しているような方ではなく、普段ならあまり胸の内を知る機会がないであろうメンバーに執筆をお願いしています。違う視点から語られるそれぞれの学びを通して、また新たな発見があれば幸いです。

記念すべき第1回目を書いてくれたのは、吾妻(旧姓:篠)千晴さん。
私が11年前に青学へやってきたときの主将です。

なぜ慶應出身の私が、青学のコーチを11年もやっているのか?
よく聞かれます。

青学でコーチをはじめたきっかけは偶然の連続からでした。
千晴の同期のATリーダーが私と地元駅が一緒だったこと。
その子とその2年前にフレキャンで一緒にコーチをしており、そこからわずかながら交流が続いていたこと。
その子が4年生になったときに青学の練習に声をかけてくれたこと。
そして千晴がFUSIONにコーチを探していると連絡をくれていたこと。
情報がまだまだ少なかったあの頃には滅多にないそんな偶然の連続も、実はまた必然だったのかなと思います。
当時私はまだ社会人2年目で、コーチとしての実績はなく、選手としてはFUSIONで主将になったばかり。
そんなときに、やったことのない大学チームのHCという職業にまで手を出すなんて、いま振り返ると、何を考えてるんだ自分は…という感じですが、この挑戦を、私のラクロス人生最良の決断にしてくれたのが千晴でした。

私が青学に合流したのは、11年前のちょうどいま頃。新緑の季節でした。
合流した日のMTGはなぜか用賀という馴染みのない駅の地区会館。
当時の青学はグラウンド・MTG会場難民で、青学のおかげで世田谷区・大田区の色々な駅に随分と詳しくなりました。
あの頃よく使っていたその用賀の地区会館には、今となっては部員数が多すぎて入りきりません。

千晴の代と一緒にプレイをしたのはたった5か月程度のことです。
当時の青学は、1部の中でも入れ替え戦常連校だったらしく、FINAL4に毎年行っていた私の母校慶應や、その前年の覇者東海、伝統ある強豪校日体などのラクロスに倣い、強化を図ろうとしていました。
しかし慶應の文化は慶應でしか作れないし、仮に慶應のラクロスを伝授できたとしても、真似るだけでは元祖を超えることはできない。
社会人2年目ながら、そのことは何となく分かっていました。
だからこそ、私のラクロスを一方的に教えるのではなく、青学の持っている良さをどう自覚させ進化させるか、そのために自分が持っている知識をどのように応用できるか、そして、その先でみんなが誇れる青学の文化をどうすれば築き上げられるか。そんなことを考えながら、一歩ずつ前進する日々でした。
ただ、5か月というのは本当にあっという間すぎる期間。紅葉の季節が訪れたとき、目指していた山の頂点はまだまだ遥か遠くにありました。

翌年、千晴たちの想いを一番近くで見ていた1つ下の代は、血の滲むような厳しい改革に乗り出し、青学の練習の質と量を劇的に変化させました。
今までなかった短期合宿やアフター、オフの自主練といった文化を定着させ、チームの中の“当たり前レベル”を一気に押し上げました。
あの期間を耐えてくれた当時のメンバーがいなければ、そのあとの青学はありません。
しかし戦績として改革の結果が出たのは、FINAL4進出を決めた3年目。
私は最初の2年間の教え子には、良い思いをさせてあげられませんでした。
それでもいつかあの子たちに、一緒に目指した先の景色を見せたい。挫けそうになったとき、大きな原動力になったのは、いつもその想いでした。

千晴は主将として、コーチとして、今はOG会長として、卒業したあとも10年間ずっと、青学を一緒に創ってくれています。
あのとき目指した景色を求め、一緒に歩んでくれています。私が青学の中で、「慶應から来てラクロスを教えてくれている人」ではなく、「青学ファミリーの一員で、一緒に夢を追いかけている人」になれたのは、常に千晴がその姿勢で私に接し、それを見た後輩も同じように温かく迎えいれてくれたからだと思います。

青学のHCを始めた当初、11年もこのチームにいるなんて想像もしていなかった私が「来年もここでやりたい」と思えるような場所にしてくれたのも、紛れもなく千晴と千晴の同期の姿勢と、それを受け継いだ代々の青学の選手たちでした。

彼女から私が学んだこと。

正しいと思った道を突き進む意志の強さ。
組織にプラスになると思うことをすぐに行動にうつす実行力。
同じ情熱を持った誰かと二人三脚で歩む楽しさ。
本気でお互いに向き合った先でしか得られない信頼、そして尊敬。

私が千晴とこの関係の礎を築いたのは、5か月の間でのことです。今からでも、そばにいる誰かとそんな関係を築き始めるヒントとなれば嬉しいです。

「私がラクロスから学んだもの」

■自己紹介
青山学院大学女子ラクロス部、2010年度卒の篠千晴です。

■柴田との関係
わたしが4年生の時、しゅんさんはHCとして青学に合流して下さいました。
当時は、HCと主将。その後、HCとAC。
今は、HCとOG会長、という肩書はありますが、誠に勝手ながら今はお友達という感覚です。
当時から、ずっとしゅんさんはものすごい人。
だけど、話しているうちに何故かお友達感覚に。そこが、何よりすごい!!と、11年間ずっと思っています。

■ラクロスから学んだこと

①見方を変えれば、自分たちの強みはすぐそこにある
コーチがいなかった時期、私たちは井の中の蛙状態。あれやりたい!これやりたい!という「想い」は沢山あっても、自分たちらしさを理解できていませんでした。その時に、しゅんさんに言われた言葉。

「青学の強みは、まじめで泥臭いところ。こんなに全員が走れてGBに食らいつく、常にさぼらないのは青学の長所」

最も感銘を受けた言葉です。
これには大発見!という感覚と、やはりそれが青学の伝統なんだ、という納得感を同時に覚えました。
それが今まで青学を築いてきて下さった先輩たちのプレースタイルだったので、知らぬ間にその伝統を引き継ぎつつも進化することを目指していた自分たちを嬉しく思いました。
目標を持ったときに、夢中になると自身のことを見失いそうにもなりますが、自己理解、特に自身の強みを把握することは必要不可欠だと思います。私たち青学は、気づいていなかった強みを理解したことで、「想い」が「ビジョン」になり、自信をもってシーズンを戦い抜くことができました。

②どんな道を選ぶかより、その道を誰と歩むか。
中高で、強豪サッカー部に所属していた私は、大学入学時点でラクロスをやるとは1ミリも思っていませんでした。サッカーを続けるか、はたまた、大学デビューだ!遊び倒そう!と思っていました。しかし、色々な部活やサークル、クラブチームを2か月かけて見学して、いきついたのがラクロス部でした。

ラクロス部の雰囲気は少しサークル寄りの物足りなさも感じましたが、それでも私はラクロス部を選びました。それは、2ヶ月間勧誘し続けてくれた先輩がいたこと、そして何より最高の仲間に自然と引き寄せられたからだと思います。他の部でMGをしたり、サークルに入ったり、どの選択肢をとっていても、幸せだったかもしれません。でも、人との出会いは運。4年間一度もFINAL4にすら手は届きませんでしたが、今も大事にしている仲間が沢山いることが、私の最大の財産です。

③こんな人になりたい、と思う人との出会い
ラクロスは、他校の人たちとの交流が多くあります。育った環境が違う人が集結するので、そこから学ぶことは無限大です。青学で一緒にコーチをした元東海のGコーチや元日体のDFコーチも、心が広く、人として深みがあり、学ぶことが多々ありました。
そして、しゅんさんは、人に対する敬意が徹底しています。
たとえ、Aチームであっても、1年生であっても。選手であっても、コーチであっても、OGであっても。青学が現役スタッフコーチOG一丸となっているのは、青学出身ではないはずのしゅんさんが誰よりも青学を大切にしてくれているからです。それを11年間という長い間ずっと一気通貫しているからです。
卒業してOGになってしまえば、母校のことを考える時間は必然的に減ります。それでも、しゅんさんはいつもOGを迎え入れてくれます。だから、私たちも卒業後も青学と一緒に日本一を目指したいと思い続けることができています。ラクロス部を通して、「こんな人になりたい」と思う人にたくさん出会えたことに、感謝しています。

④自分の殻を打ち破る
中学高校と強豪校でサッカーをしていた私は、当時変なプライドがありました。自身では壊せない殻にこもっていました。でも、色々な競技やバックグラウンドから集まるラクロスという競技では、その殻を何度もぶち破られました。
練習方法から自分たちで考えるの?練習の間にこんなに選手だけで話し合うの?朝早すぎないか?自分の当たり前は当たり前ではなく、すべて手作業で、部員全員で作り上げていく。
チームメイト=ライバルという意識のほうが強かった今までより、全員が選手であり、コーチにもなりうる。フラットな関係。全員が本気で向き合って答えを考える。これは、確固たる答えのないラクロスの面白さ。
プライドを持つことよりも、一人ひとりと向き合って、自分をさらけ出すことの大切さを知りました。自分の弱みや色々な面を受け入れてもらうことで、仲間との絆ができていく。
自分の殻を打破することで、ラクロス面だけでなく、素直に生きることの楽しさと大切さも学びました。

■今、ラクロスの日々を振り返って
ラクロスを通して得たものは、「人とのつながり」とう言葉に尽きるかと思います。
学生主体だからこそ、同期とも、先輩後輩とも、たくさん話し合い、時には言い合いもしました。しゅんさんとも夜中までミーティングすることも、多々。
楽しい時間を共に過ごしたのは、もちろんですが、自分自身を見直すきっかけも沢山もらいました。「言ってること意味わかんない」、「大嫌い!」、「もっとちゃんと説明してくれると思った」今思い出しても、ゾワっとするようなこんな言葉を仲間から頂いたこともありました笑。
でも、この経験があったから、自分の変なプライドとか殻を打破して、素直な気持ちを持ち続けることができたと思います。

自分が間違えたら素直に謝る、誰が正しいとかでなはくフラットに話し合う、感謝の気持ち。社会に出てからも、素直さは基本中の基本。
でも出来ない人は意外と多い。そして、企業等では出来ない人は諦められます。学生のときに、誰かと真剣に向き合う中でこれだけ人間力を鍛え、同時に、一生の仲間にも出会えたことは、何にも代えがたい経験でした。

大学生活は、長い人生を生きる中の、たったの4年間。たとえ日本一に輝いても、中身がスカスカでは悲しいと思います。長い人生を生きる上で必要なのは、人間力ではないかと思います。その人間力をどこでどう鍛えていくか。

しゅんさんとの出会いは、その点でわたしの人生でトップ3に入る出来事です。

ラクロスの技術以上に、チームへの想い、考え方のロジック、何より人としての基礎を教わりました。とは言っても、私は数か月しか一緒にラクロスできませんでした。なので、言葉で教わったというより、しゅんさんを見ていて学びました。数か月でも沢山のことを学べたのは、しゅんさんの姿勢がいつも一貫しているからです。いつ会っても、しゅんさんは人に対してまっすぐ。圧倒的な知識や経験もあるし、言葉のチョイスも温かい。一方で泥臭くたくさんの時間を身を削って、青学に注いでくれています。自分の知らないラクロスの世界を教えてくれ、当たり前の価値観を変えるきっかをくれた人です。
最後に、ラクロスには確固たる答えがないからこそ、自分たちらしい、自分たちにしか出せない答えを、みんなで考え続けたその過程は、最高に苦しく最高に楽しかったです。だからこそ、みんなとの時間が今も忘れられない。そして、だからこそ、今でもコーチ先輩後輩関係なく、「会いたい」と思う存在なのだと思います。

今は結婚して絶賛育児中の千晴。息子のラインスタンプつくって、当時青学にかけていた以上の愛情と情熱で息子を育てている日々のようですが、育児と最近復職したばかりの仕事の合間に、すごくちゃんと文章を書いてくれたのもまた彼女らしいなと思います。

当時から千晴を見ていると、「強い女性」という言葉がよく似合うなと思っていました。でも、決してずっと強かったわけではないらしく、4年生になった当初は、不安に押しつぶされそうで何度も吐いていたと、引退したあとに聞きました。千晴にとって、私はそんな不安を半分背負ってあげた存在なのかもしれません。何か特別なことをしたわけではないですが、ラインもない時代に一日も欠かさずに毎日連絡をとっていた記憶はあります。あのときの千晴にとっては、そんな存在が必要だったのかなと思います。でもその頃、私もコーチ一年目で正解が全くわからない不安を常に抱えていました。それを、全幅の信頼を置いてついてきてくれることで、半減させてくれたのも千晴でした。支え合うってそんなことなのかなと、いま実感しています。

いま皆さんの周りには、不安に押しつぶされそうな仲間がたくさんいると思います。こんな状況の中、刻一刻とこの仲間で戦える今シーズンの終わりは近づいていて、やりきれない気持ちの選手は多くいるはずです。でも、だからこそ、誰かにとっての不安を半分背負ってあげられる存在になってください。

たった5か月。されど5か月。私が千晴と今に続くこの関係を築いたのは、11年前の5か月間という限られた時間でのことです。今からでも、そばにいる誰かと、10年も20年も先まで続けられる関係や価値や思い出を築くことはできます。

逆境だからこそ、全員が不安だからこそ、結果がどうであれ、不安を一緒に背負って歩んだ仲間は、きっといつかかけがえのない財産になると思います。

SELL代表
柴田 陽子

▶︎Profile
柴田陽子(1987年生まれ、兵庫県出身、神奈川県在住)
【学歴】
・大阪教育大学教育学部附属高等学校池田校舎卒業
・慶應義塾大学総合政策学部総合政策学科卒業
【社会人歴】
・アクセンチュア(SAPを専門に取り扱う部門でクライアント企業へのSAPシステムの導入プロジェクトに携わる)
・リクルート(リクルート住宅部門注文住宅グループ神奈川チームにて住宅雑誌「神奈川の注文住宅」の営業)
・WWE(米国最大のプロレス団体の日本法人にてマーケティング、ライセンシング、セールスなどをサポート)
・ナイキジャパン(通訳チームの一員としてスポーツマーケティング、ロジスティックス、テック、CSRなどの視察や会議の通訳および資料翻訳を担当)
・電通(オリパラ局の一員として東京大会の各競技のスポーツプレゼンテーションを企画。チームの国際リエゾンとして豪州のパートナー企業との交渉も担当)
・Second Era Leaders of Lacrosse(代表として団体創立に携わり現在に至る)
【ラクロス選手歴】
(所属チーム)
・慶応義塾大学女子ラクロス部(2005年~2008年)
・FUSION(2009年~2013年)※2010年~2012年主将、2013年GM
・CHEL(2014年~2016年)※2015年主将、2016年副将
(選抜チーム)
・U20関東選抜(2005年)
・U22日本代表(2008年)
・日本代表(2009年~2011年 )※2009年W杯参加
【ラクロスコーチ歴】
(所属チーム)
・慶応義塾大学女子ラクロス部AC(2009年)
・青山学院大学女子ラクロス部HC(2010年~現在)
(選抜チーム)
・U20関東選抜AC(2012年)
・U20関東選抜HC(2013年)
・U19日本代表AC(2015年)
・日本代表AC(2017年)
・全国強化指定選手団AC(2019年)
・日本代表GM兼HC(2020年~現在)
【主なラクロスタイトル】
(選手)
・関東学生リーグベスト12(2007年)
・東日本クラブリーグ優勝(2011年・2012年 FUSION、2014年 CHEL)
・全国クラブ選手権優勝(2011年 FUSION)
・全国クラブ選手権準優勝(2014年 CHEL)
・全日本選手権準優勝(2011年 FUSION)
・全日本選手権3位(2014年 CHEL)
(コーチ)
・全国最優秀指導者賞(2018年)




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編集長LACROSSE PLUS JAPAN
小野寺ひより(編集長) <ラクプラについて>設立:2016年8月|ミッション:ラクロスに関わる人に有益な情報を届け続ける|ビジョン:ラクロスの人ってかっこいい

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