【ラクロス団体コラム】Japan Box Lacrosse Column 〜日本でボックスが始まるまで〜
ラクロッサーの皆さん、こんにちは。Japan Box Lacrosse(以下JBL)の北浦真と申します。私はこれまで、かれこれ約25年もラクロスを楽しんできました。
【名前】北浦真
【ラクロス歴】神戸大学 → ラガマフィンズ → NSW Lacrosse @Sydney → JBL → Singapore Lacrosse → JBL(現在)
【ラクロス歴】神戸大学 → ラガマフィンズ → NSW Lacrosse @Sydney → JBL → Singapore Lacrosse → JBL(現在)
今回は、私が日本初のボックスラクロス(以下ボックス)専門の団体であるJBLを立ち上げ、軌道にのせるまでの2014~2016年あたりのお話を皆さんにご紹介できればと思います。
ー なぜ日本でボックスを始めたか
まず、なぜボックスを日本で立ち上げようと思ったか?ですが、理由は極めて単純、「自分がやりたかった!」からです。2009~2013年の4年間、私は仕事の関係でシドニーに住む機会があり、そのとき初めてボックスに出会いました。もうそこで完全に一目惚れ。狭いコート内で求められる高いシュート精度やスティックワーク、常にゴール前のシチュエーションが続く緊張感に球際の激しさ、一発で気に入りました。
日本に帰任したあとは、すぐに日本でボックスができる環境を探しました。でも、皆さんも想像できると思いますが、周りが壁などに囲まれ、ラクロスのような激しいスポーツ、かつ、固いボールを取扱OKにしている室内施設など、そうそう簡単に見つかるものではありません。あらゆる情報・人脈をたどって2-3か月リサーチを続けた結果、ようやく見つけたのが、埼玉県戸田市にあるインラインホッケー専用リンクの「MISC戸田」でした。ダメもとで電話をかけアポを取り、自作の資料を手にMISCの門をたたいたのが、2014年の1月。今思い出しても恥ずかしいくらいですが、ラクロスの魅力、ボックスの新規性、などなどを前のめり気味にプレゼンさせてもらい、施設使用への快諾をもらいました。
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ボックスを始めた当初を振り返ってみて