【ラクロスコラム】#12 私がラクロスから学んだもの File.003|SELL代表 柴田 陽子
「私がラクロスから学んだもの」シリーズ第3弾を書いてくれるのは、私の慶應の同期である森井(旧姓:小出)菜々子さんです。
私の同期は非常に個性豊かで、今となっては専業主婦として日々子育てに奔走しているメンバー、子育てとキャリアを両立しているメンバーも多数。その他にもずっと海外で仕事をしているメンバー、家業に勤しみ素敵なお店を経営しているメンバー、大学院に戻り勉強をしているメンバーなど様々です。そして慶應・日本代表・CHELで同じチームメイトとして戦い、いまは青学で一緒にコーチをしている同期以上の同志もいます。菜々子はその中でも、私に大学時代からずっと多くの学びを与えてくれている最もバイタリティー溢れる同期の一人です。
菜々子の周りにはいつも仲間がいます。同期の一発芸コンビのひとりで、いつも面白いことを考えていた気がします。先日も写真の整理をしていたら、海外遠行ったときに撮った菜々子のおもしろ写真フォルダが出てきて、つい笑ってしまいました。とにかく友達が多く、仲間に愛されていて、旦那さんが菜々子にプロポーズしたときも、5年ほど前にハワイで結婚式を挙げたときも、結婚式の2次会のときも、いつも高校や大学の仲間をみんな巻き込んでやるので、なぜか私も菜々子の高校の友達ともFacebookで繋がっています。菜々子はそんな仲間の輪を広げていく力がある人です。練習後にご実家にお邪魔すると、絵に描いたような優しそうなご両親がおいしい料理と楽しい会話でもてなしてくれて、菜々子の仲間を楽しませる精神はご両親譲りなのだなと思っていました。
それだけでなく、菜々子はとても向上心がある人です。高校時代から親元を離れて1年間海外留学に行っていたり、その期間でたった1年とは思えないほど英語が上手くなったり、社会人になってからもリクルートで表彰されたりと、とにかく頑張り屋です。大学のときは、部活後もよくアフターをして、熾烈な競争の中で試合に出るために自キャッチができるドローワーという武器を頑張って磨いていました。
また、彼女は仲間のために自分の時間と労力を惜しみなく割いてくれる人でもあります。社会人になってからは、青学で組織づくりに奮闘していた私に、何かできないかと自ら声をかけてくれ、リクルート流チームビルディングMTGを実施してくれたこともあります。数年前に青学が関東の決勝で慶應と対戦した際は、当時はアメリカに住んでいたにも関わらず、現地で試合のTV放映を見られる方法を必死に探ってくれました。当日は、たまたま旅行中だった同期と、同じくアメリカ駐在だった別の同期と一緒に決勝を観戦してくれ、私が試合後にLINEを開いたらそこには3人からたくさんの労いの言葉が届いていました。
大学時代の彼女について、印象に残っているエピソードが2つあります。1つ目は大学4年生のリーグ第4戦。その1年前に敗戦していた因縁の相手とFINAL4に進むためには絶対に落とせない一戦を目前に、主力の後輩が怪我をして出場できなくなってしまいました。その時、代わりに抜擢されたのが菜々子で、彼女はやり慣れないゾーンDFの位置を前日しか練習していないという状況で本番に臨みました。これはあとで母から聞いたことですが、それまであまり出場機会がなかった中で急にまわってきた重役に、菜々子のお母さんは「緊張して見てられない」と応援席で言っていたそうです。それでも、その日菜々子は得意なドローで試合をコントロールし、DFでもいつもその位置をやっていたかのようなパフォーマンスで見事勝利に貢献しました。当時の慶應ではHCの大久保さんが毎試合MVPを後日メールで発表してくれていたのですが、この試合のMVPは菜々子でした。あの厳しい状況をチャンスに変えた菜々子の活躍が認められて、自分がもらったどのMVPよりも嬉しかったことを覚えています。
2つ目はその2か月後、慶應が負けたら終わりの全日本選手権の1回戦を翌日に控えていた日のことです。前日までには大体誰がベンチ入りするかというのはわかっており、菜々子はその試合はベンチ入りが厳しい状況でした。当時、ATの最前線を別の同期と任されていた私は、クリアの連携をその同期と毎日何度も何度も確認しており、その日も残って練習をしていました。ベンチ入りが厳しい選手は、どうしてもそういう自主練には残らず帰ってしまうことが多いのですが、菜々子は約2時間、ずっと私たちのクリア練の相手DFという最高に面白くない役に徹して、自主練に最後まで付き合ってくれました。
その帰り、車に乗せてもらった際に彼女がずっと片手で運転していることに気づき、どうしたのかと尋ねたら手首が痛いと言っていたのですが、その日はそこまで気に留めることなく、明日は頑張ろうねと言って別れました。翌日、慶應はクラブチームSibyllaに延長戦の末負け、それが私たちの引退試合となりました。試合が終わってから私は菜々子がその日、手にギブスをつけていたことを知りました。実は前日に手首を骨折していて、その状態で自主練に付き合ってくれていたのです。私たちの自主練中はそんな素振りを一切見せなかったので、最初は耳を疑いました。そしてすぐに、激痛であったにちがいない状態を隠して私たちの自主練に付き合ってくれたことへの感謝の気持ちと、そんな仲間の想いを託された試合でチームを勝ちへ導けなかったことへの悔しさがこみ上げてきました。12年経っても、忘れられない大学ラクロス最後の1日の出来事です。
彼女から私が学んだこと。
チームのために行動すること
いつでもチャレンジし、それを楽しむこと
諦めずに努力し続けているからチャンスがきたときに結果を出せるということ
どこまでも仲間を想うこと
だから仲間に想われること
今回「ラクロスから学んだこと」というテーマで執筆をお願いした中で、自ら「学べなかったこと」も書いてくれた彼女だから、きっと彼女の今があるのかなと思います。そんな姿勢もまた尊敬しています。
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◆自己紹介
慶應義塾大学女子ラクロス部・商学部09卒、森井菜々子(旧姓:小出)です。大学卒業後は、リクルートに入社、約7年間を通して、自動車部門、HR部門にて営業、人事部にて、研修、新人教育、組織活性(風通しの良い風土をつくる)の仕事をしていました。ラクロスで知り合った夫の転勤をきっかけに退職し、アメリカカリフォルニア州にて3年半住み、アメリカンな子育ての日々。2019年夏に日本に一時帰国。2020年夏には第二子が産まれる予定、現在33歳お母さん業をしています。来年にはアメリカに戻る予定で、自身の新たなキャリアに向けて、現在は幼児教育について勉強中。
<私のラクロス史>
・高校:アメリカ留学時代にラクロス部に入り、ラクロスに魅了される。大学ではラクロスをしようと決意。
・大学:慶應ラクロス(ポジションはMD。係は、新勧、応援、打ち上げ、モチベーションビデオ制作)
・社会人:2部リーグ WALLOP(ワロップ)(1年目副将、2年目主将として2年間所属)
・アメリカ:BAYLAX(西海岸の草ラクロスチームに所属。毎週末、練習をせず試合だけで集まり、ビールを飲んで解散するサンフランシスコ唯一のラクロスチーム)
上記以外では、月に1度、ビーチラクロス、ラクロックスを主催し、趣味としてのラクロスを楽しんだり、リクロスの会(リクルートラクロスの会)でサムライカップに出場したり、サムライラクロスさんの企画で、クロスを持って富士山に登って日本一高い場所でパスキャッチをしたり、東日本大震災の時はラクロスを通して現地で復興支援に参加したり、ラクロス出身者と結婚したり、気付いたら、私の人生はなんだかんだラクロスとは切り離せないものになっていました。
(↑社会人の週末の夜はビーチラクロス・ラクロックスを楽しむ)
◆柴田との関係
試合の応援にきていた私の父は、同期のしゅんのことをメッシ(サッカー選手)と呼んでいました。いつも得意の左から鋭いシュートを決めてくれるしゅんに、私は、運んだボールを安心して預けていました。しゅんと過ごした長い時間の中で、印象深く、しゅんのキャラクターを表している出来事があります。しゅんは、大学1年の時に試合のビデオを管理する係に就いていました。ある日しゅんは、別の1年生が撮影した試合のビデオがブレブレできちんと撮れていなかったことに対して、同期30人以上を集めて声を荒げたのです。「なんでこんなこともできへんねんっ!学生優勝のためにうちらができることやろうやっ!!」と泣きながらみんなに訴えかけてくれました。15年程前のことですが、そのシーンは今でも鮮明に覚えており、チームの一員としての自覚が足りなかったことに気づかされましたし、試合で活躍すること以外での学生優勝にかける本気度を見せつけられた気がしました。
そんな熱い同期のしゅんから、今回執筆のオファーをもらい、主に学生時代のラクロスのことを振り返っていたのですが、正直「もっとこうすればよかったな」と少し大人になった今だから思うことがいくつかでてきました。そこで、今学生のみなさんに向けて、1、私がラクロスで学んだこと、2、学生の皆さんに気付いて欲しい、私がラクロスで学べなかったこと(=もっと学んでおきたかったこと)を書かせていただき、みなさんの一歩を踏み出すきっかけの一助となれば嬉しいです。
(↑慶應ラクロス部時代・新人戦優勝)
◆私がラクロスで学んだこと
1、自分の居場所を見つけること・そしてその場所で価値を発揮すること
私のラクロス部での日々は「自分にしかできないことはないか」を探し続けた4年間でした。当時の慶應では、80人以上部員がいて試合に出られるスタメンは12人。スポーツには必ずあることですが、多くの部員がリーグ戦などでスポットライトを浴びずに終わってしまいます。その中で、4年間を費やすと決めたからには、試合での貢献を目指すのはもちろんですが、グラウンド外でもチームにとって必要とされる存在になり、どう価値を発揮していくかが非常に重要でした。プレー面に関しては「ルーズボールからチャンスを作る選手」になることを目指しました。その為、ドローの練習に時間を割き、自分がメインで参加していない時間も誰かのミスを予測してフォローするよう心がけていました。フィールド外では応援係やモチベーションビデオ作成など、誰かを応援するような役割を自然と担うようになりました。大事な試合の前日にはベンチ入りメンバー発表があり、日々オーディションを受けている様なハラハラした気持ちでしたが、そんな時も、試合に向けたエールで盛り上げ、とにかく明るく元気に振る舞うような時があったことを覚えています。それにより、今その瞬間にチームのために自分がやるべきこと、価値発揮できることを全うしよう!と決めて、継続する精神力がつけられたと思います。この姿勢は、社会に出ても様々なシーンで活かすことができました。リクルート営業時代、企業の採用活動のコンサルティングをしていたときは、自身のお客さん(企業)にとって、自分がどういう存在となり、「その企業にとって、人事部にとって、採用チームにとって、どう思われ、何を提供する人になるのか」を常に問い続け、期待以上の価値を発揮しようと行動していました。仕事をしていない時も同様で、アメリカでは、知り合いゼロの所からスタートし、図書館で知り合ったオーストラリア人のママと意気投合し、子供たちに必要な環境を語り合ううちに、地域の子育てママグループを立ち上げることにしました。どのようにして自身と、周りのみんなが楽しく子育てができ、子どもたちが楽しい時間を過ごせるかを考えて、沢山のイベントを企画しているうちに、気づけばコミュニティのメンバーは20ヶ国ほどの国々から50人以上になっていました。その行動と経験が、仕事から離れていた私に、次のキャリアとして幼児教育に携わろうと決めるきっかけを与えてくれました。学生時代、組織の中で自分の居場所を見つけ、そこで価値を最大限に発揮することは、ラクロス部での4年間を充実したものにし、その後の人生をキラキラ輝かせてくれる力になってくれると思います。
(↑アメリカでの子育てコミュニティで毎週企画したピクニックイベント)
2、自分のやりがいを見つけられたこと
社会人になり、週末は2部リーグWALLOP(ワロップ)に所属しましたが、忙しい平日の後の土日の練習は正直かなりしんどかったです。それでも自らチームの幹部にコミットしたのは、学生時代に培ったラクロスの経験をシェアすることで、みるみる変化するメンバーや、成長するチームを目の当たりにしたからです。その成長に自身が少しでも関われることが、自分が試合でシュートを決めることよりも興奮し、嬉しく、楽しい、と思うようになっていきました。学生からやっている同じラクロスでも、一緒に過ごす人や、チーム内での在り方が変わるだけで、新たな自分を発見することができます。ラクロスは、チーム以外にも、学連、委員会など、学外の活動がありますし、社会人になれば、自分でチームを選ぶこともできます。同じスポーツでも、関わる場所を広げて、継続していくことで、人間的な成長もそうですし、新たな自分に出会えるきっかけが沢山あると思います。私の場合は、ここで気付いた自分のやりがいが、仕事においても変化をもたらし、人の成長に関わる仕事がしたいと思い、手を挙げて人事部に異動し、研修や、新人教育の仕事をするようになりました。今は学生の皆さんも、どんどんとチームの外に出て、どんな形であってもラクロスと長く関わっていけると、より4年間のラクロス生活が生きたものになっていくと思います。
(↑BBQ、飲み会、笑い、にラクロスと同じ情熱を捧げられるメンバー揃いのワロップ)
◆学生の皆さんに気付いて欲しい、私がラクロスで学べなかったこと(=もっと学んでおきたかったこと)
1、「目の前にあるラクロスが人生のすべて」になってはいけない!
学生時代の私は、「目の前に取り組むラクロス・4年間こそが人生の全て」というくらいそのことしか考えていませんでした。しかし当然ながらそこには終わりがあり、いずれその4年間は「長い人生の中における一部」だったと気付かされます。日々目標に向かってがむしゃらに取り組めばきっと何か得られる、人生にとって良いことなんだ、というTHE体育会的な何となくの肯定感は根拠の無い自信をもたらしてくれましたが、自分の人生の先を描いた上でラクロスをしていたら、もっと沢山の学びや、人としての成長があったのだと思います。
例えば、「大勢の前で話して、人に伝える仕事がしたい」という将来を描いていたら、キャプテンを務めて日々部員の前で話す機会を得ることも大切ですし、各大学の体育会の役職、学連の委員などでも実現できると思います。他にも新人育成、コーチをする、といったことも人に伝える機会が多い役職です。部活における係1つとっても、自分の将来のありたい姿と接続することができれば、自分の人生において、ラクロスがもっともっと有意義なものになると思います。
ちなみに私は、「組織・コミュニティを元気に!」といったことが好きで、人生を通してやり続けたいことだと思っています。振り返ると、学生ラクロス(部の盛り上げ隊として、応援・打ち上げ・モチベビデオ制作など)、社会人ラクロス(副将、主将として盛り上げ)、仕事(人事で組織活性担当としてイベント企画や、ビジョン策定など)、家庭(毎日をいかに家族で楽しむかを日々模索)と、それぞれの場所で一貫してやりたいことをやっています。学生の時はなんとなくやっていましたが、その後は、自分のありたい姿と日常を接続させて、やるべきことを選択して、自ら取りにいっていました。もし今学生の時に戻れるなら、「組織づくり」という観点で、まずはもっと視野を広げて、他大学、他の部活の組織の良いところをリサーチして取り入れる動きをしてみたり、海外のラクロス部の組織のあり方にも目を向けると思います。特に決められた役職などがなくても、自分のやりたいことを実行して、発信すれば、きっと身になると思います。将来から逆算して今何すべきか考えることは難しい方もいると思いますが、それでも4年間考え続けて、行動してほしいです。部活内の活動でできること、部活外の活動でラクロス部のためにできること、将来のためにラクロス以外の活動でできること、考えれば沢山のことが見えてくるはずですし、自分の中で優先順位もみえてくると思います。「ラクロスの為の人生」ではなく、「人生の為のラクロス」という視点を是非もってみてほしいです。
2、ロボット型の選手になってはいけない!
学生時代、ラクロスのプレー面において私は、相当なロボットだったと思います。そしてこれが一番の後悔です。「ロボット」という言葉を使ったのは、自分の頭でさほど考えず、言われたことをミスなくこなすことを最優先として取り組んでいたからです。当時の慶應ラクロスでは、ミーティングでコーチや幹部から、戦術や練習メニューの説明があり、それを練習、試合で実行していく、というものでした。ポジションの幹部でもなかった私は、4年間説明を受けることしかしておらず、正直なところ、それを理解してこなしていくことで精一杯でした。そして、そこそこ期待通りに動き、大きなミスもしないという、代替の利く正にロボットのようになってしまっていました。今思えば、どうしてもっと自分の頭で考えて、疑問をぶつけたり、新しいことを考えたり、言われたことに対して想像をもっともっと膨らませて練習に臨めなかったのだろう、と後悔しています。自分の頭で考えて発信することは、学年・役職に関わらず自由です。また、運動神経がよくなかったとしても、人一倍考えて練習・試合に臨めばパフォーマンスは変わるはずです。ラクロスがもっと楽しくなるはずです。社会人になってからは、ロボットではできることが限られ、クリエイティブな仕事、責任のある決断をする仕事は回ってこなくなります。みなさんがほぼ毎日取り組むラクロスを是非有効活用して、考える力を鍛えて、自分の意思をもって発信することをやってみてください。ラクロスにおいても社会に出てからも必ずプラスの成果がでてくると思います。
最後になりますが、私は今、妊婦ですし、コロナによる自粛中なのですが、動けるようになったら誰かとラクロスしたい!ラクロックスしたい!慶應、ワロップの仲間に会いたい!試合の応援に行きたい!等の気持ちが沸々と湧いてきています。決して、前線で輝く選手にはなれなかったけれど、こんなに好きなことに人生を通して出会えたことがとにかく幸せだな、と思います。正直ラクロスでなくてもなんでも良いっちゃ良いのですが、みなさんの学生生活が、そんな「好き」に出会える時間になることを願っています。
(↑ラクロス出身者の夫とハワイの結婚式後にラクロックスを楽しむ)
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菜々子と旦那さんはいつも最後の写真のように二人でふざけ合って楽しんでいます。その上、どちらもとてつもなく向上心が高く、これからの人生をどのように歩んでいくのか、10年後、20年後にどこでどのような家族とどのような暮らしをしているのか、ずっと見ていたくなるような二人です。いまは日本に帰ってきていますが、大きな事業の夢とともにまた来年頃には世界に羽ばたく予定で、菜々子はそこでのグローバルな子育ても視野にいれて、幼児教育の新たな目標へ向かって勉強を始めているそうです。
私は、選手・コーチとしてラクロス競技の最前線にいる時間が長いですが、今回は菜々子のようなラクロスとの関わり方ができる人がもっと増えればいいのにという想いで、彼女が忙しいのを承知で執筆を依頼しました。ラクロスをどのレベルでやっていても、結局はラクロスをきっかけとして、「自分自身が何を得ようとするのか」が全てだと思います。彼女は、その環境がラクロスでも仕事でも育児でも、そこに取り組むスタンスが大事なのだと教えてくれる存在です。だから彼女の周りにはそんな彼女に惹かれた仲間がたくさんいるのだと思います。
「いま」を考えてラクロスをすることもたしかに大事です。しかし10年後、20年後に振り返ったときに後悔しない「いま」をつくるためには、いまの環境の中で何を得たいのか、その先で何がしたいのか、ぜひ一度立ち止まって考えてみてください。10年経ったとき、「2020年があってよかった」と思えるような出会いと経験を得ようと一歩踏み出せば、明日からの運命が少し変わるかもしれません。
SELL代表
柴田陽子
▶︎Profile
柴田陽子(1987年生まれ、兵庫県出身、神奈川県在住)
【学歴】
・大阪教育大学教育学部附属高等学校池田校舎卒業
・慶應義塾大学総合政策学部総合政策学科卒業
【社会人歴】
・アクセンチュア(SAPを専門に取り扱う部門でクライアント企業へのSAPシステムの導入プロジェクトに携わる)
・リクルート(リクルート住宅部門注文住宅グループ神奈川チームにて住宅雑誌「神奈川の注文住宅」の営業)
・WWE(米国最大のプロレス団体の日本法人にてマーケティング、ライセンシング、セールスなどをサポート)
・ナイキジャパン(通訳チームの一員としてスポーツマーケティング、ロジスティックス、テック、CSRなどの視察や会議の通訳および資料翻訳を担当)
・電通(オリパラ局の一員として東京大会の各競技のスポーツプレゼンテーションを企画。チームの国際リエゾンとして豪州のパートナー企業との交渉も担当)
・Second Era Leaders of Lacrosse(代表として団体創立に携わり現在に至る)
【ラクロス選手歴】
(所属チーム)
・慶応義塾大学女子ラクロス部(2005年~2008年)
・FUSION(2009年~2013年)※2010年~2012年主将、2013年GM
・CHEL(2014年~2016年)※2015年主将、2016年副将
(選抜チーム)
・U20関東選抜(2005年)
・U22日本代表(2008年)
・日本代表(2009年~2011年 )※2009年W杯参加
【ラクロスコーチ歴】
(所属チーム)
・慶応義塾大学女子ラクロス部AC(2009年)
・青山学院大学女子ラクロス部HC(2010年~現在)
(選抜チーム)
・U20関東選抜AC(2012年)
・U20関東選抜HC(2013年)
・U19日本代表AC(2015年)
・日本代表AC(2017年)
・全国強化指定選手団AC(2019年)
・日本代表GM兼HC(2020年~現在)
【主なラクロスタイトル】
(選手)
・関東学生リーグベスト12(2007年)
・東日本クラブリーグ優勝(2011年・2012年 FUSION、2014年 CHEL)
・全国クラブ選手権優勝(2011年 FUSION)
・全国クラブ選手権準優勝(2014年 CHEL)
・全日本選手権準優勝(2011年 FUSION)
・全日本選手権3位(2014年 CHEL)
(コーチ)
・全国最優秀指導者賞(2018年)